「Dr.STONE」の稲垣理一郎最高傑作「アイシールド21」
2022年3月7日に発売されたジャンプで堂々の完結を迎えた「Dr.STONE」。
斬新な設定と先が読めない物語展開で間違いなく名作の一つに数えられる漫画となりました。
そしてそして、「Dr.STONE」の原作者稲垣理一郎先生の前作品、高校生のアメリカンフットボールを題材にした「アイシールド21」も負けず劣らずの超名作です。
名作「アイシールド21」。物語のその先へ。
…はい、なんてカッコつけてみました。安心院さんに何か言われそうですね。
アイシールド21は、何も考えずに読み進めても、「友情・努力・勝利」の三拍子が揃っためちゃくちゃ熱いジャンプ作品なのですが、漫画作品の裏には、作者が込めたコンセプトやメッセージと言うものが存在します。(正直、存在しない漫画もあると思いますw)
そう言った作品テーマや作者からの裏メッセージのようなものを考察しながら作品を読み進めるのも、一つの面白い漫画の読み方かなと思うのです。
今回はアイシールド21の作品テーマを考察していきたいと思います。
たびたび描かれてきた「才能」と「努力」の対立構造
アイシールド21の魅力の一つは、個性豊かなキャラクターにあると思います。人気投票1位のヒル魔を初め、主人公のセナ、桜庭春人…キャラクターと自分をどこか重ね合わせて共感できるポイントがある気がします。
そんなキャラクターの関係性に注目すると、「才能」と「努力」という2つの要素から意図的に対立構造のような形で描かれていることがわかります。
王城ホワイトナイツ 天才・進清十郎と凡人・桜庭春人
主人公小早川セナと光速破り脚を持つパンサー
天賦の才を持つ弟 金剛阿含とそれを支える兄 金剛雲水
キャッチの達人モン太と本庄二世 本庄鷹
…ざっと挙げてみてもこれだけスッと出てきますね。何が言いたいかと申しますと、こういった対立構造を稲垣先生は意図的に作り出しているということですね。つまり、この関係性を作り出した意図に着目すると、自ずと作品テーマが顔を出す、といったところでございます。
最終決戦 vsアメリカ戦で示されたアンサー
才能と努力、もしくは天才と凡人、持っている者と持たざる者…その最たる対立構造として描かれたのが、W杯の最終戦、アメリカとの闘いですね。
圧倒的なスペックを持つ最強の5人ペンタグラムを初め、全日本オールスターを持ってしてもその能力が霞んでしまうほどのアメリカの猛者たち。人種の壁としか言いようがないリアルを感じます。
「オリンピック100mの決勝は黒人だらけ」
いつしかNASAシャトルズの監督アポロが語った、当時小学生だった僕が印象に残っている言葉です。今思うとモラル的にグレーなセリフかもな、なんて思いますが、そういうことじゃないんですよね。
持って生まれた身体のバネやしなやかさ。どうしても努力で超えられない壁。それを端的に表している言葉だからこそ、印象に残っているのだと思います。
そんな最終決戦ですが、アメリカとの地力の差に瞬く間に点差が離れていきます。しかし試合後半、何かと因縁深い神龍寺ナーガの金剛阿含と泥門デビルバッツの司令塔ヒル魔がコンビを組み、絶妙なコンビネーションで状況を打開していきます。
自分の才能と実力以外は決して認めようとしなかった阿含も、ヒル魔との異様に息の合ったプレイが、アメフトの雄、アメリカを翻弄している事実に笑みをこぼし、アメフト本来の面白さに触れたことで、次のような言葉を投げかけます。
「…もしもテメーに、俺並みの身体能力がありゃ 最強のタッグがー。まあ、相変わらずカスすぎて目も当てられねえがな。」
素直じゃなさすぎて分かりにくいですが、このシーンは作中最高クラスの天才として描かれる阿含が、初めて蛭魔妖一というアメフト選手を認めた瞬間でもあるのです。
そしてその阿含へのヒル魔の返答。これこそが、第325話「Double Devil」で描かれた、作品テーマのアンサーだと私は思うのです。
「ないもんねだりしてるほどヒマじゃねぇ。あるもんで最強の闘い方探ってくんだよ。一生な。」
芸能界でも、オードリーの若林さんがオールナイトニッポンでこの名言に感銘を受けたことを公言していますし、アニメでヒル魔の声優を務めたロンブーの淳さんは、Twitterでこの名言を人生の教訓として紹介しています。
ヒル魔はアメリカンフットボールの世界では、決して身体能力と運動能力に恵まれている選手ではありません。日本国内はもちろん、この言葉が飛び出した最終決戦のアメリカ戦では、ヒル魔の持つ身体スペックのみでは到底敵わないような選手が山ほどいます。
スポーツの世界に限らず、世の中、上を見ればキリがないことばかりではないでしょうか。どうせ自分なんて…と弱気になってしまうことは、誰しもにあると思います。
そんな時本当に大切なのは、今ある目一杯の自分と向き合い、理解し、立ち向かう姿勢だということ。本当に譲れないものならば、外野ではなく、その目を向けるべきは常に自分の内面であるということ。
ピーナッツのスヌーピーの名言に、ヒル魔のこの言葉によく似た名言があります。
「配られたカードで勝負するっきゃないのさ、それがどうゆう意味であれ」
そういう意味では、「才能」も一つのカードでしかないのかもしれません。とは言え、そのカードはジョーカーのようなものなのかもしれませんが…。
しかし例え相手の手札にジョーカーがあっても、トランプの大富豪では一位が確約されているわけではありません。そう、それは今自分の持っている手札、もしくはこれから手にする手札と、その闘い方次第なのです。
「アイシールド21」は、今だからこそ読み返したい、未読の方にはぜひ読んでいただきたい折り紙付きの作品です。
ではではドンセイグッバイ!イッシュウでした。
サムネイル画像 出典:アイシールド21_9巻表紙より